2005年6月アーカイブ

ローカルステーションに追加しました。
今まで掲載されていたローカルステーションの情報も、より詳細な情報が掲載されました。

労働組合とは企業主に対しての賃上げ闘争のためのもののように思っていたが、イオン労組は「あらまほしき(こうあってほしい)世を具体化する」目的を企業主と共有して活動をしていることを知って大いに啓発された。イオン労組はこのためには「物から心へ」「経済的充足から精神的充足へ」と価値観の転換を図ることが必要と考えた。この目標実現のための戦略は、企業への「参加関与機会の増大」と定め、これを労組の「事業」と言っている。「生きることの志を高めるための事業」「働くことの志を高めるための事業」この事業を実践するものを「世話人」と呼び、「世話人1000人創造戦略」を立てている。

イオン労働組合委員長 新妻 健治


松下幸之助に見込まれて、松下政経塾・塾頭を永年勤められた上甲氏はその精神で青年塾を平成8年に開かれた。全国を北から南まで5ブロックに分けて、年間8回、週末から2泊3日の合宿研修で、「教えない、自分でつかめ」「研修のお膳立てはしない」「苦労して学ばないと身につかない」「掃除と食事つくりは必須のカリキュラム」「歴史を知り、時代を知り、自分を知る」ということを骨組みとしている。

青年塾塾長:上甲 晃


文化学院の創設者、西村伊作は1921年に当時の日本を代表する文化人、谷崎潤一郎、北原白秋、佐藤春夫、与謝野寛・昌子夫妻らと語らい、自由な学校を自力で作ろうと思い立ち、「生活を芸術として」、「小さくても善いものを」、「高価なものよりも美しいものを」という思いを文化学院の教育の基礎とした。この教育思想は昭和の国家権力から危険視され、開戦の頃には教師の半数は辞職という危機に直面するが、伊作は態度を変えることなく、ついに拘禁、学校は閉鎖、後者は軍に撤収されたが、戦後蘇って現在の崇高な姿がある。大正ロマンの初志を微動だにせず、個を守る戦いを続けているわが国唯一の尊敬すべき学校

代表者 文化学院理事長:西村礼門

NPO法人奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」
1983年に三浦一広士は独自の合気拳法をもとに「奄美合気拳法連盟」を結成したが、1988年ごろから、消防士としての三浦氏がシンナー耽溺の青少年の補導にのりだしてから、本連盟は武道更正教育の役割を大きく担うことになり、2001年にNPO法人「奄美青少年支援センター・ゆずり葉の郷」が発足した。必要な場合には即座に現場に駆けつけて、彼らの本音を聴き、「すべての子にチャンスを」を、キャッチフレイズに、「許す・認める・慰める・励ます」ことを実行して、「君は必要な人間なのだ」「君は君だけにしかできない人生がきっとある」ことを自覚させ、生きる意欲を目覚めさせて次代の若者を育てている。


所長:三浦 一広


渚にたてば、脚は砂を踏み、海水に浸り、肺は海風を吸う。これ地球の3大圏(陸、海、大気)を同時に味わうわけであり、子どもはこの渚の恵みで自然な心をとりもどす。日本の美しい渚がつぎつぎと埋められていくのを見るに耐えられず、1978年に「渚を愛する会」がつくられた。会員約400人。1.子どもを潮干狩り、海水浴等で渚に連れ出すこと。2.渚の清掃。3.渚のコンサート、写真展、講演会等の渚に因むイベントの企画を行ってきた。死語になりかかった「渚」という言葉が最近復活して、教育効果は少しずつ見え始めてきた。

渚を愛する会 福田 正臣


西海町は長崎県西彼杵半島の最北端に位置する美しい海と島、緑の大地に恵まれたところ。しかし、農業という第一次産業が不振に傾いていく危機感を克服しようとして、廃木材をチップとして堆肥をつくり、土にもどすという廃木材再資源化事業を興した岩松社長が、有機農業体験施設、宿泊研修施設、無農薬食品加工施設 兼 お食事処を設立して、これが基盤となって「農業と教育を考える会」を発足したことは大変有意義なことと思われる。

株式会社 岩松社長 岩本 勘一郎


高校生の息子が奇病でたおれた。ラジオ・テレビで駆けつけ献血をして下さる方が名前も告げずにエレベーターから消えていく後姿に「菩薩」を感じ、寝棺の子に悟されて「もみじ」による昔の森つくり運動を始めてから20年が経った。佐賀県唐津市厳木町の作礼山の山懐の18ヘクタールの環境芸術の森。紅葉の秋ともなると、1万本のもみじが深紅、黄緑色とりどりに谷に錦を染め、別天地となる。自然石を伝って落ちる滝とせせらぎ、山腹をキャンパスと見立てての一幅の絵である。

環境芸術の森「林仙之塾」代表 鶴田正明


知的障害児教育施設として1954年に現在地に創設。映画「しいのみ学園」が全国に上映される。1979年、小・中学校義務教育完全実施に伴って、就学前児童の通園施設の社会法人として「しいのみ学園」が発足した。
代表者:昇地 三郎


なんども子供キャンプに中国の辺境に行っている精神科医の碇博士は、新彊ウイグル自治地区では白髯をたくわえ、哲学者のように威厳のある顔をした老人が鞭を当てて走るロバ車の荷台に、必ずといっていいほどに、少年・少女をチョコンと乗せ、砂漠の道を行くのを見て感動する。日本の我々は「人生最早期の養育環境はたった一人の母性に委ねられている」という前提に固執しているのは荒唐無稽という。地域社会で幼い子供たちと高齢者が出会い、互いに豊かな関係がもてるような生活を求めて「交齢社会(Inter-Generational Community)」の暮らし方を提唱する。
代表:碇 浩一


「教育風土」という言葉は高知県西部を蛇行しながら緩く流れる清流「四万十川」にまさにぴったり。1997年に西土佐村は旧廃校となった後者の再利用計画の中で、子どもを中心とした地域の生涯学習・自然体験型宿泊センターとしての四万十楽舎を創設した。木の田舎暮らしを体験する大人から、自然の中で嬉々として遊んで学ぶ子どもたちまで、21世紀の教育の姿をここに見る。

代表:山下 正寿


いまから30年程前は学力増進の時代でソロバンを習う子どもも多く熱心だったが、1980年代になり、電卓やコンピューターの普及でソロバンはもう不要とする考えが起こる一方、ソロバンを習う子の低年齢化が起り、今までのソロバン学習の方法では低年齢には無理なことがあることに気づいた。そもそも電卓では数の概念がわかず(暗算ができない)、計算に関する脳の機能が働かないので、電卓に任せることは子どものためによくないので、幼年期から数の概念を把握してソロバンを学習できるパスカル盤を考案したのが福田ソロバン塾だ。

代表:福田 ハルミ


北海道釧路郊外で生まれて、子どものとき、アイヌの子と遊んで、木刀、弓、木登り、魚とり、木の実とり山菜のつみ方等を会得した渋谷氏はプロのダイバーとして活躍中、潜函病で暫く休業をやむなくして、鎌倉寺で日曜禅などを経験したことがあった。病気が治って潜水の仕事に戻ったあるとき、潜水の待ち時間では禅の境地になりやすいことに気づき、水中塾を始めた。水中技のひとつの「浮き自然体」は力を抜き開放した状態で、「優しく」、「柔らかく」、「ゆっくりと」、「丁寧に」が自然にできるようになり、今まで見えなかった世界が見えるようになる。マインド・スイムのプログラムで生涯学習で人生を見直す契機をつくろう。

所長:渋谷 正信


「脱サラして イルカとの体験学校をつくる」
一流信託銀行員だった岩重市は偶々入院生活をしたときに、少年時代に鹿児島錦江湾で遊んだイルカのことを思いだし、あの光景を子どもたちに見せたいとの思いが募り、ヒトと動物との絆の立場から、心の癒し、健康、福祉を考えようと決心して、会社を辞め、東京水産大学大学院に入学、修士をとり、HAB(human animal bond)研究会をつくり、御蔵島などで、人とイルカの交流の体験学校「イルカの学校」を開いている。

イルカ研究会(HAB21) 代表:岩重 慶一


所長の平井雷太さんは「教える教育には限界がある」ことに気づき、「子どもが自分で進んで学習するようになるにはどうしたらよいか」を模索、そのためのコンセプトは「評価しない、目標を持たない、疑似空間をつくらない」こと、そしてそれを実現するための道具として「らくだ教材」、「インタービューゲーム」、「考現学」に到達したという。全国各地で学習コーディネーター養成講座を開いているという。学習したくなるように人を促す秘訣は何か。大いに魅力がある。
所長:平井 雷太


管理教育に反発する個性派の子どもを対象に、留学という教育環境の変換によって自立を促し、学びの面白さを自覚させる「転地療法」の実績を着実に進めているのが難波校長だ。不登校、引きこもりの子どもさん方が見違えるように積極的になっている数々の実例は、教育には環境がいかに大切かを教えてくれる。

代表:難波 三津子
カナディアン・アカデミー・セタガヤ校長


公民館・図書館で自由な生涯学習
「大航海」とはテーマを自由に発案し、ひとりひとりが船長となって、大海原に漕ぎ出す学びの冒険のこと。ときには嵐もあり、難破することもあろうが、自分だけの宝島や新大陸発見もあるわけだ。片岡氏はこのような大航海学びの場の設定に活躍しており、座間市あすなろ大学「大航海ゼミナール」を座間市公民館で実施されているほか、岡崎学楽塾(岡崎市立図書館)、八王子千人塾(八王子市中央図書館)等においてこの活動が発展している。

代表:片岡 則夫


共同生活の体験から人間関係や社会慣習を知って、人間的に自立を促すことは丁度中学生の頃に必要なことだ。順天中学高校が創立された天保の頃の私塾では、塾生同士の切磋琢磨の自主的、共同体的な伝統的教育環境があった。同校ではその伝統に帰る意味で、スクールステイを具体化している。全教師が交替で指導に関わり、食事賄いの専門スタッフや、卒業生の学生チューターたちのサポートもあって、活気ある教育の実をあげている。

代表:長塚 篤夫
順天中学高等学校 校長


都心にあるオルタナティブ・スクールで生徒の大部分は引きこもり、不登校経験者。「楽しくなければ学校じゃない」をモットーに14年間やってきた。学校は偏差値を高くするための学習の場ではない。想像力、洞察力、思いやりの心、包容力など感性を育む場にするために課外活動、体験活動、海外への修学旅行でのホームステイ等を試みている。「ラオスに学校をつくろう」のボランティア運動は子どもの学ぶモティベーションの質を高めるのに役立っているようだ。諸外国の民間の伝統・慣習を学ぶにつけ、生活の中に溶け込んだコミュニティースクールの具体化が焦眉の急である。

代表:荒井 裕司
東京国際学園高等部


まちはあらゆる生活の場であり、人生の舞台だ。その大切な「まちの力」がいま廃れようとしている。清水氏はまちづくりの実践を通して、先人の智恵を学び、これからの人と社会を再構築しようとしている。いま内神田地区に家守塾の姿があり、現に学生、アーティスト、デザイナー等がここに移り住みはじめている。「まちを学校にする」思いは21世紀の姿だ。

株式会社アフタヌーンソサエティ代表 清水義次


埼玉県桶川市の無認可保育園。門や囲いがなく、看板もない。木造の高床、高天井の広い空間。子どもたちは裸足で走りぬけている。自分の背丈の倍以上の竹馬に乗った子が、横を通る。動物小屋には子馬や孔雀が遊んでいる。園長さん、保育士さんはちゃんと目を配っていて、子どもたちを信用して、必要なときだけ手を差し伸べる。自立して、誇りと自信に満ちあふれた子どもたちがすばらしい。園児の家庭の7〜8割はこの近所、つまり、子どものために移転してきているという。
園長:北原 和子

山形県高畑一帯は日本海側多雪地帯で四季を通じて多様な自然と作物に恵まれ、これに対応した伝統的文化と生活様式が保存されており、それを開発する進取の気象に富んでいる。宮原氏は宮城大学においての地域開発の教育に携わった経験を活かし、山間部から平地に続く立地条件で、自然と対峙するなかで創作活動を興し、伝承文化を教育に活用するプログラムを具体化している。

代表:宮原 博通


高橋校長は10年程前、そのときの任地小学校が100周年を迎えるときに昔の寺子屋「北条の里」の夢を正月に見て、それを正夢にしようとの構想がわき「学校寺子屋」が実現した。それが任地ごとに寺子屋を作り、今は3度目のようだ。小学校は地域と一体とならなければ、真の教育は出来ないことがひしひしと認識されてきている現在、それの具体化の実例は極めて意義深い。

代表:高橋 武生
山形県東賜置郡川西町小松小学校校長